初代理事長夫妻
創立者志村勢八は質屋の子として生まれました。しかし、貧しい人が高い金利を払えず質流れしてしまう姿を見て育ち、「困ってる人の役に立ちたい」と非営利的な質屋を行うために1955年に社会福祉法人民友会を立ち上げ、三軒茶屋や、緑丘保育園の土地で公益質屋を営んでいました。
「小粒ながらもよい保育園をつくりたい。どうせ作るならば、働く若い親から切望され、かつ必要とされながら最も少ない乳児専門の保育園をつくりたい」とのの思いから、1969年、緑丘保育園が誕生しました。
2001年に「元気なお年寄りの生きがいを、介護で悩んでいる方の交流を、働くお母さん、お父さんの交流を、子ども達の豊かな育ちを、みんなが手をつなぎ、活動を展開する場」として、みどりが丘ふくしかんが誕生。
2007年10月には世田谷の地に姉妹園として、尾山台保育園が誕生しました。
1969年当時の緑丘保育園園舎
緑丘保育園の歴史は日本の保育の歴史でもあります。保育労働が厳しく腕や肩の痛みがひどく、職業病として保育士が戦ったこともありました。
開園当初、乳児が多いのに、栄養士の配置がなく、保護者がお金を出し合って、栄養士を一人雇用しました。そして、緑丘保育園の子どもにとって必要な人(栄養士)は、どこの保育園でも必要な人」として、目黒区にも働きかけてきました。
また、保育園の前のマンション建設の際は保育園に太陽が当たらなくなると、建設会社と交渉をしてきました。延長保育の制度化、障がい児保育の制度化、その時代、その時代で求められる保育を率先して実践しながら、全国の保育士や保護者とつながりながら、現在の保育を形づくられてきました。
今の緑丘保育園 園舎
2019年の台風で尾山台保育園は床上80センチの浸水被害にあいました。その際、保護者、近隣の保育園の職員、地域の方、職員、みんなで泥をかき出し、休み明けからの保育の再開にこぎつけることができました。
年長は公立保育園の一室を間借りして、半年間過ごしました。3・4歳は2階の乳児室フロアで過ごしました。たくさんの方の支えの中で保育園が存在していることを実感しました。
ふくしかんの掲示板
2020年1月からのコロナ禍では、「子どもたちにはいつも通りの生活を」と、大人のできることを可能な限り取り組んできました。保護者の皆さんにもご理解ご協力をたくさんいただきました。
コロナが無くなったわけではありませんが、両園ともに行事を再開させ、保護者や地域とつながれることの喜びを感じています。
子どもたちも、保護者も、職員も、地域の人も、みんなが幸せになれる。 そんな保育園、ふくしかんの在り方を模索し続けながら、これからも皆さんのお力を借りながら、地域に根付いていきたいと思います。
尾山台保育園 園庭